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うちの母は、なんだか変なこだわりがある人で

リカちゃん人形は「顔が嫌い」と言って買ってくれませんでした。

そのかわりタツノオトシゴそっくりな犬のヌイグルミや

ヌイグルミたちのために手作りの服を作ってくれました。

人形に対する飢餓感や

欲しいものは自分で作ったら良いんだという価値観が育まれた気がします。

祖父が紳士服の仕立て屋だったので、たまにもらえるハギレが

また渋いんですが、裁縫へのハードルが低かったのはありがたいことです。

わたしは1965年(昭和40年)1月京都府宇治市で生まれました。

祖母によると雪の降る朝の事だったらしいです。

その後、父の仕事の関係で北海道で9歳まで育ちます。

小学校は石炭のストーブだったこと、朝配達された牛乳が凍っていてシャーベットのようで

嬉しかったこと、子供ながらに恐怖を感じるような神秘的な湖

政府から配給されてるのか?

と思うほど各家庭にあった熊の一刀彫とアイヌ木彫り人形。

それが私の原風景です。

ながい ながい プロフィール的なこと

小学校2年のときに母の実家である京都に引っ越してきました。

色んな意味でカルチャーショックでした!

しかし、読書が好きで絵を描くのか好きな内向的な私は

京都という土地によって鍛えられ

おしゃべりで友達と遊ぶのが好きな子供に

成長したのでした。

中学でも絵を描くのが大好きだったから

もう自然に京都市にある美術工芸高校に行こうと思ってました。

しかし、絵なんて油絵ぐらいしか知らないから

京都市立銅駝美術工芸高校の西洋画科を選びました。

公立の高校だけど午前中は学科の勉強で午後からは各自選択した科の

実習で毎日デッサンや油絵を描いて楽しかったです。

全校生徒は300人ぐらいしか居ないけど、鴨川のほとりの歴史のある建物で

今考えても良い学校でした。

当然、進学も芸大とか美大に行きたかったので目指したんですが

うちは私立はダメ!と言われたので公立の芸大は近いのが京都芸大

しかし当時は7~8倍だし、今で言うセンター試験があって午前中しか学科の勉強してない我々には

すごく不利でした。そんなこんなであっという間に2浪したけどダメだったですね~。

その後は、産業ロボットの設計事務所で図面描いたり

マスコット人形作る会社で企画デザインしたりしましたがうつ病になって辞めてしまいました。

いわゆるバブルな時期で毎日残業残業で壊れちゃった感じです。

家でブラブラしてるときに地方ミニコミ誌みたいな織り込みチラシに「譲ります」とか「差し上げます」とか

そういうコーナーあるんですが、そこに「お人形教えます」とありました。

家からも近いし「人形」を教わるってどんな人形だろう?と思ってすぐに教室に通いはじめました。

それが堀 美代子先生です。

今は先生は市松人形やアンティークドールのリプロダクションを手掛けられてますが

当時は石塑で作るアンティークドール風の創作人形を作られていて

その完成度の高さに本当にびっくりしました。

私が紙ねんどなんかで作ってた人形は何だったんだ?というぐらいの衝撃です。

それが21歳か22歳のときです。

その時期に四谷シモン氏の人形の写真集が出たりして

さらに、人形を仕事にできる可能性にはじめて気が付きました。

それからは憑かれたように人形を作り続けました。

途中からは自己流で関節人形を作り始めました。

当時は関西には球体関節の人形の教室はほぼ無くて

もちろん技法書やネットも無い時代でしたから試行錯誤の日々でした。

要は中が空洞でゴムで繋げて動いたら良いんですよね

これが正解というやり方もないし、自分が生理的に気分良く制作できる方法が

一番良いのでは?と今でも思います。

その時の試行錯誤が今私が教室で教えている発砲スチロールを使わないやり方です。

顔やボディの肉付けも簡略で効果的にするにはどうしたらいいか?

すごくリアルな人形が良い人形とは限らないし

自分のしっくりくる大きさや形を最終的には自分で決めてもらいたい

それが教室をするうえで私が生徒さんに期待することです。

初めての個展を1990年京都の嶋屋画廊でひらきました。

京都ってところは変なところでギャラリーにお人形で個展したいと言いにいっても

そんな工芸か手芸かわからないものには貸せまへんなぁ~みたいなノリがあるんです。

そこで当時、知り合って間もない人形作家の坂井のぶ子さんと楠田アヤ子さんの

お勧めのこの画廊にしたのでした。

1990年から、いま2014年だから24年!

これといって目立つ活躍もなく有名にもならなかったけど

ずっと制作を続けてこられたのが奇跡というか不思議な気持ちです。

2001年からは新田英二先生にビスクの手ほどきを受けました。

ビスクはさらなる可能性と大変さを伴いますが

とても魅力的な素材です。

ここ数年はロシアのワタクノフギャラリーにも展示されてます。

関西では昔人形 青山さん

珈琲舎書院肆/Luftアラビクさん

関東では横濱浪漫館さんにも作品を置いていただいてます。

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